三分間法話「齋藤 清隆」

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齋藤 清隆

法話を聞く

こちらは、総本山光明寺テレホンセンターの齋藤清隆です。
日頃、忙しい生活に東奔西走の毎日かとは思いますが、「ふと立ち止まった時」や「片付けをしている最中に思い出の品が出てきた時」等のタイミングに、お友達やご身内の事を思い出したりして、「会いたいなあ」と思うのではないでしょうか?

会いたい人を指折り数えると、学校時代の友達や心淡き思い出の人から順番に思い出していくのではないでしょうか。そして最後の方に大切な方が出てくるのではありませんか。そうです、お父さん、お母さん、お爺ちゃん、お婆ちゃん、兄弟さんではないですか。そして会える人、会えない人がはっきりしていると思います。そして亡くなった方に「会いたい」って言っても会えないのではないかとお思いの事と思います。ご先祖様と現世において直接会うというのは非常に困難ですが、我が身寿命を全うし、寿命尽きて後、お浄土に往生(往き生まれた時)に「お浄土でみんなに会うのですよ」と説く経節がございます。西山浄土宗、所依の経典、浄土三部経の一つ「阿弥陀経」の経中に「倶会一処」と説かれております。「倶会一処」の「倶」は「人偏に具材の具」、「会」は「会合の会」、「一」は「漢数字の一」、「処」は「甘味処の処」と書きます。「倶」は「ともにする、そろって」、「会」は「あう、あつまる」、「一」は「ひとつ」、「処」は「居(お)る、居(い)る、ある場所に落ち着く」の意味でございます。
繋げますと「一つのある場処、お浄土に倶にそろって、会い、落ち着くのですよ」という意味でございます。現世で命尽きる臨終の場においての辛い別れはご自身を成長させ、強くさせてくれる大きな機縁に他なりません。その後も阿弥陀仏・ご先祖様からご加護を受け更に大きく成長させて頂きます。そして誰一人逃れることなく、寿命尽きる身として臨終を迎え、その後お浄土で再会をします。

その時に「ありがとう」「しっかり頑張ったよ」「見ててくれたでしょう」と大きな声で言えるように、しっかりと日々を過ごして頂きたいと思います。

感謝の念を頂き、声高らかに「南無阿弥陀仏」 お電話有難う御座いました。

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