釈迦堂

釈迦堂前の信楽庭
白州に配された大小18個の石は念仏の行者が生死の大海を渡る姿を現しているという。

現在、このお堂は御法主から直接、法脈の相承を受ける大切なお堂です。
撮影/橋本健次

第三十九世 竜空臥雲上人
享保十九年(1734)本廟と鐘楼を除く一山全焼の後、元文三年(1739)から寛保元年(1741)までの四年間に釈迦堂並びに土蔵・庫裡・書院を建立。

第四十二世 泰空旭暎上人
延享四年(1747)釈迦堂の屋根を瓦葺きにする。

※釈迦堂は享保19年の大火の後、元文3年から寛保元年までの4年間の間に、土蔵や庫裡・書院などと一緒に再建されました。この内現存するのはこの釈迦堂だけです。

現在このお堂には、「頬焼けのお釈迦様」と呼ばれる釈迦如来立像が安置されています。

このお釈迦様には不思議な話が伝わっています。それは時々出歩かれるというのです。出歩かれて怪我を負って帰ってきた「淀の水次郎」の話しが有名です。

現在の京都市伏見区の淀に水次郎という男が住んでいました。この男は大変な乱暴者でしたので人々は水次郎と呼ばずに悪次郎と呼んでいました。
この男のところに托鉢僧が訪れるようになり、それに腹を立てた水次郎が托鉢僧の頬に火箸をあて火傷を負わせたのです。ところが托鉢僧は痛がるどころか声一つ上げることなく黙礼をして去っていきました。

その後を追った水次郎はお寺の中に入り、そこで托鉢僧がご本尊様のお釈迦様であったことを知り、今までの罪を悔い、これからの生活を改めることを誓いました。
後の世になり人々は水次郎を弥陀次郎と呼ぶようになりました。この時のお釈迦様が現在、釈迦堂の本尊様となっておられます。

紅葉期は大変混雑しますので公共交通機関をご利用下さい。光明寺には駐車場はございません。また近隣は全面駐車禁止です。