法然上人の「石棺」


石棺横の紅葉も少し色づいてきました。

御影堂の右手前、石の柵に囲まれて、大きな石棺があります。柵の前の碑には「圓光大師御石棺」と刻まれています。圓光大師とは法然上人の大師号で、上人がお亡くなりになって約500年の後、東山天皇から贈られたものです。


古墳の石棺を思わせる、まるみを帯びた石蓋

法然上人は建暦二年(1212)、80歳で入滅なさり、御遺骸は京都、東山の大谷の地に埋葬されていました。しかし、念仏の教えが広まるにつれ、それを快く思わない比叡山の僧たちが、上人の墳墓をあばいて辱めようとしている、という企みがあることが発覚したのです。嘉禄三年(1227)、危険が迫っていることを知ったお弟子の方々は、御遺骸を嵐山の二尊院に移し、さらには、太秦の西光院へ隠しました。しかし、叡山からの圧力をかわすことは日に日に難しくなっていきました。

そんなある日、密かに御護りしていた石棺から、一筋の不思議な光が放たれました。お弟子の方々が、この光を追って南へ向かいますと、粟生の念仏三昧院へたどり着いたのです。これが現在の光明寺です。当時としては都から遠く離れ、法然上人との深い因縁もあるこの地は、御遺骸を荼毘にふして、お墓をつくるのに、いかにもふさわしい場所と、お弟子の方々もすぐに気がつきました。そして石棺をこの地に移し、御遺骸を荼毘にふしたのです。

石棺は、どっしりとした形で、やや丸みをおびた重い石蓋で覆われています。ここから光が放たれたとき、お弟子の方々はどれほど驚かれたことでしょう。西光院から光明寺までは、およそ15キロあります。ひしひしと迫る危険を感じながら、この重い石棺を運んで冬の道を急いでいる僧侶たちの、緊張した姿を想像すると、今、石棺の周囲をのんびりと掃除している自分たちとの違いを申し訳なく思います。この石棺は「恵まれた状況にあることに甘えず、励みなさい」と諭してくださっているかのようです。

紅葉期は大変混雑しますので公共交通機関をご利用下さい。光明寺には駐車場はございません。また近隣は全面駐車禁止です。